第4章:こころを照らすもの
第4節:記憶の樹と眠れる声
深い森の奥へと足を進めるキナコとイタッチは、ひっそりとした緑の息づかいに包まれていた。木々の間を漂う霧は白く薄く、どこか夢の中に迷い込んだような心地にさせる。ハリネの小さな背中が頼りなくも確かに先を導いてくれる。
「もうすぐ……着くよ」
ハリネの静かな声に、キナコはうなずいた。すぐそばを歩くイタッチの表情はどこか緊張を帯びていたが、それでも森の静けさに心を整えようとしているようだった。
霧がわずかに晴れたとき、三人の目の前に、ひときわ大きな樹が現れた。太い幹は苔とツタに包まれ、空へと広がる枝は雲を支えるようにどっしりとしていた。その存在感に、キナコは思わず足を止めた。
「……ここが、“記憶の樹”?」
ハリネは頷いた。そのとき、頭上の枝葉がふわりと揺れ、そこから一羽の大きなフクロウが音もなく舞い降りてきた。灰色と白の羽をまとったその鳥は、まるで森そのものが姿を変えたかのような威厳をまとっていた。
「ようこそ、旅人たちよ」
低く響く声が森の静けさをやさしく撫でた。キナコとイタッチはその場に立ち尽くし、やがてキナコが恐る恐る口を開いた。
「あなたが……フクル?」
フクロウは軽くうなずき、瞳をキナコへと向けた。その目は深く澄んでいて、まるで心の奥を見通しているかのようだった。
「焼かれたのは、森だけではないな。お前の心にも、痛みが残っている」
その言葉に、キナコの胸がふっと締めつけられた。あの火災の中で聞いた獣の唸り声、少女の笑顔を思い出すたびに押し寄せてくる寂しさと不安。それを見透かされたような気がした。
フクルはゆっくりと記憶の樹の根元へ歩き、苔の上に翼を広げて語り出した。
「この森には、過去の声が眠っている。忘れられた想いも、捨てられた願いも、この樹がすべて受け止めてきた。そして、必要とする者にはそれを分け与える」
キナコは小さな体を震わせながら、その言葉に耳を傾けた。イタッチは黙って寄り添い、そっとキナコの背を押した。
「お前が進むべき道は、ここで終わらない。むしろ、ここから始まるのだ」
「でも、どうすれば……女の子のところへ戻れるの?」
キナコの問いに、フクルはまるで星を思い出すように遠くを見つめた。
「強く輝く光を探せ。それは時に目に見えず、心の奥に宿るものだ。仲間との絆、過去の記憶、そして――帰りたいと願う気持ち。すべてが、お前を導くだろう」
しばらくの静寂が森を包んだ。やがてハリネが、小さな声で言った。
「私も……ここで道を見つけたの。捨てられて、独りぼっちだったとき、フクルが迎えてくれた」
キナコはハリネの瞳に宿る静かな光を見つめた。そこには、過去の痛みを越えた強さがあった。
「ありがとう、フクル。ありがとう、ハリネ……ぼく、行くよ。女の子のもとへ」
フクルは何も言わず、ただ目を細めた。そのまなざしには、無言の祝福が込められていた。
霧の奥から、また新しい風が吹き抜けた。キナコの針がそれを感じてわずかに震える。イタッチが小さく笑い、歩き出す。キナコも続いた。記憶の樹を後にして。
森の深奥、過去と未来が交差する場所で、キナコは確かに何かを得たのだった。
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