第3章:イタチとハリネズミ、牙と針の出会い
森の奥深く、薄明かりの差す木陰の中。キナコは、はじめての夜をひとりで迎えていた。
体を丸め、落ち葉の上でじっとしていても、風の音や木々の軋む声にびくりとする。あたたかい少女の膝の上が恋しかった。でも、戻るには進まなければならない。
「こんな夜に外で寝るなんて……でも、行かなきゃ」
小さな声でつぶやいたときだった。カサ、と草を踏む音。すぐ近くから、低くて乾いた声が響いた。
「……へぇ、こりゃまた小さくて美味しそうなおやつだな」
その声に、キナコはびくりと顔を上げた。目の前にいたのは、鋭い目をした細長い動物――イタチだった。毛並みはくすんだ茶色、細い胴体がくねるように動き、隠しきれない野生の匂いを纏っている。
「ちょ、ちょっと近づかないで……!」
恐怖で震えながらも、キナコは必死に体を丸め、針を立てた。イタチはそれを見て、ぴたりと足を止める。
「おっと、針持ちか。そりゃたまげた」
目を細め、くすりと笑うと、イタチはゆっくりと後ろに下がった。
「冗談だってば。……まぁ、半分はな」
その軽口に安心するどころか、キナコの心は余計にざわついた。けれど、イタチはすぐに敵意を見せる様子もなく、近くの岩の上に座り込んだ。
「ここで何してんだ、おチビちゃん。こんなとこで寝てたら、誰かの本当のおやつになっちまうぞ」
キナコは迷った末、小さく口を開いた。
「……ぼく、人間の女の子と離れ離れになって、帰る道を探してるの」
イタチはふうん、と鼻を鳴らした。
「人間ね……おれの巣も、あいつらに壊されたよ。鉄の音と煙の匂いがして、気がついたら、みんなどこかに消えてた」
静かな声だった。軽口の裏に、深い痛みがにじんでいた。
「それからずっと、こうして彷徨ってる。寝場所を見つけては追われて、仲間もいなくなって」
キナコは、イタチの話を黙って聞いていた。
「ぼくも、大切な人が突然いなくなった。……でも、帰りたいから、行かなきゃって思ってる」
言葉にした途端、キナコの胸の奥にある決意が、ほんの少しだけ形になった気がした。
イタチは少し黙った後、ふいに立ち上がった。
「オレはイタッチだ……、旅なんて柄じゃないけどさ。どうせ、ここももう安全な場所じゃないしな」
キナコが目を見開く。
「一緒に……来てくれるの?」
「お前を守るって意味じゃないからな。針もあるし、勝手に進めってだけだ」
そっけない言い方だったけれど、その瞳には、わずかながら優しさが宿っていた。
翌朝、ふたりは並んで歩き始めた。木々の間を縫うように進みながら、イタッチはぽつりと言った。
「この先の村に、変なイヌがいるって聞いたことがある。人間に飼われてるって話だ。何か聞けるかもな」
「そのイヌに会えたら、女の子のことも何か分かるかも……!」
「オレは村の中までは行かねぇ。人間くせぇとこは嫌だ。お前ひとりで行け」
キナコはこくりとうなずいた。
そして、午後の光が差し込む草むらを越えたとき、小さな村が見えてきた。
木の柵の向こうに、のんびりとした空気が漂っている。その中に、大きな犬が一匹、日向で寝そべっていた。
「こんにちは……」
おそるおそる近づくキナコに、その犬――ゴローはゆっくりと目を開けた。
「おや、小さなお客さんだね。どうしたんだい?」
キナコが少女を探して旅をしていることを話すと、ゴローはうなずいて、やさしく答えた。
「人間のことはわからないけれど、この森のずっと奥深くに、“何でも知ってるフクロウ”がいるよ。ひとりで会いに行くのは大変だけど……きっと、何か知ってるはずだ」
「ありがとう……!」
新たな目的地が見えたそのとき、キナコの胸にまた、少しだけ光が差した気がした。
村の外では、イタッチが影から見守っていた。何も言わずに、でも、そこにいることが、キナコにはわかっていた。
出会いと、別れ。そしてまた、新しい出会いへ――
少女のもとへ続く道は、まだ遠い。でも今は、もうひとりじゃない。
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