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小さなハリネズミのこころの旅 -第5章-

森の中を逃げるハリネズミのキナコとイタチのイタッチ。その背後には、木々の間から姿を現した大きなオオカミが追いかけてくる。絵本のようなタッチで描かれた、緊迫感とやわらかさの入り混じる場面

第5章 別れの決意と迫る影

 フクルの深い声が風に溶けていくように消える頃、キナコとイタッチは、記憶の樹をあとにした。森は静かだった。けれど、その静けさは安らぎではなく、嵐の前の気配を孕んでいた。

木々の隙間から射す光がやわらかく足元を照らし、ふたりの影が並んで伸びていく。イタッチは何かを感じているように、時おり立ち止まっては鼻先を高く上げ、周囲を探る。キナコもまた、背中にじんわりとにじむような不安を覚えていた。どこかで枝が折れる音。風ではない、何かが動いている気配。肌に貼りつくような視線。

「……感じるか?」

イタッチが低くつぶやいた。

キナコは小さくうなずいた。息をのむ音すら、森に吸い込まれてしまいそうだった。

それは、突然だった。

茂みの奥から何かが飛び出し、土の匂いとともに空気が裂けた。キナコが跳ねるように身を引くと、そこには目だけをぎらりと光らせる、黒い影――オオカミがいた。そのままふたりは夢中で走り出す。絡み合う根っこ、崩れかけた小道、濡れた落ち葉の上を必死に駆け抜ける。風が耳を切るようにすり抜け、心臓の鼓動が音になって聞こえる。

イタッチはキナコのすぐ横で走りながらも、ちらりと後ろを見た。

「ついてきてる……あいつ、離れねぇ。」

森が開け、行き止まりに近い崖へと出た。引き返すこともできず、脇の茂みも深すぎて身を隠せない。背後から、確実に迫ってくる気配。呼吸は荒く、足元はふらついていた。

そのときだった。イタッチがぴたりと足を止めた。

「ここまでだ……」

キナコが振り向くと、イタッチは自分の前に立っていた。背筋を伸ばし、震える小さな身体で、オオカミの気配のする方へと向き直っている。

「ここから先は、俺の番だ。俺は……お前を守るためにここにいるんだ。」

その声は震えていたけれど、揺らぎはなかった。目は真っ直ぐで、どこか遠くを見るようでもあり、すぐそばにいるキナコを見つめているようでもあった。

「逃げろ、キナコ。」

キナコの心が、きゅっと縮んだ。けれど足は動かない。ただ、イタッチの背中を見つめることしかできなかった。

その小さな背中が、いつになく大きく見えた。

キナコの鼻先がかすかに震え、喉の奥がつまる。声にならない想いが胸の奥で弾け、ただ一滴、涙が頬を伝って落ちた。

木々の間から、あの目がふたたび光る。イタッチは一歩、踏み出した。

風が止んだ。

すべてが静寂に包まれる中、キナコはその場に留まり、目の前の光景をただ見つめていた。

彼の背を、心に刻みながら――。

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